大田原市黒羽地域は、関東と奥州の接点である栃木県北東部の那珂川上流に位置し、古くから文化が開け、城郭跡・神社仏閣等の史跡・文化財が豊富に残っております。中世の那須野は広漠たる荒れ地が広がり、八溝の岩岳丸伝説や篠原の玉藻の前伝説などがあり、源頼朝による巻狩りが行われた所でもあります。鎌倉時代には、雲巌寺の法灯が盛んとなり、那須与一に代表される那須家がこの一円を支配し、那須七騎の筆頭と言われた大関氏がこの地を治め、天正4年(1576年)大関高増が黒羽城を築城して以来、明治の廃藩置県に至るまでの約300年間この地を居館としました。
またこの地は、那珂川の舟運や東山道による経済文化交流の結節点としても栄え、元禄2年(1689年)には俳聖松尾芭蕉が「おくの細道」行脚の途中旧知の人々を訪ね、旅程中最長の14日間逗留し数多くの名句を残しました。旧黒羽町は『芭蕉の里』をテーマとしたまちづくりをすすめ、「芭蕉の館」や「芭蕉の里俳句大会」は大田原市となった現在も引き継がれています。
平成5年から黒羽城址公園に植栽されている約6,000株のアジサイの開花にあわせ『くろばね紫陽花まつり』が開始され、回を重ねるごとに地域の人々の協力の輪が広がり、現在では期間中約7~8万人の観光客を集めるイベントとして定着し地域の振興にも寄与しています。