
大久保町(おおくぼちょう) 写真アルバム≫クリック
大久保町屋台の正面、屋根の上をご覧ください。祭り好きの若者達の指さす先は仙人の姿。この仙人、名を梅福(ばいふく)仙人といって、そんじょそこらの仙人様とは格が違います。 |
荒 町(あらまち) 写真アルバム≫クリック
荒町の屋台は、江戸時代後期の作で、製作年代は不明である。百有余年の間、屋台まつりに親しまれてきましたが、運行不能となり平成9年8月解体いたし、平成11年4月に修復工事が終わり披露したものです。
屋台の作りは、黒漆塗り(くろうるしぬり)の柱、金箔の金具の中に、色鮮やかに染め抜かれた十二支の彫刻が取り付けられ威光を放っています。屋根の中央にたつ四体の龍と玉、四枚の緞子(どんす)には、那須与一と扇の的の刺繍がほどこされています。
お囃子は、神田(かんだ)五段(ごだん)囃子(ばやし)荒和志流(あらわしりゅう)、荒和志会(あらわしかい)の皆様です。![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
上 町(かみちょう) 写真アルバム≫クリック この屋台は、江戸末期嘉永(かえい)2年(1849年)9月、この年の温泉神社(大田原神社) の祭礼年番であった上町によって製作されたもので、大工・彫刻師等は不明です。
屋台の製作にあたって大田原藩では華美(かび)に造らないよう指示しましたが、町民は指し止めの命令も聞き入れず製作したため、世話人10人が役人から手錠を申し付けられたとの記録が残っています。昭和41年には、大田原市の有形文化財第8号に指定されています。
囃子方は、松葉流上町お囃子保存会です。![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
寺 町(てらまち) 写真アルバム≫クリック 初代屋台は作成年代は不詳ながら、茨城県常陸(ひたち)大宮市(おおみやし)鷲子(とりのこ)地区宿組に保存されている屋台の箱書きの名前からこれが寺町の初代屋台ではないかと推測出来ます。
明治維新以降は文献もないため定かではないが、大正初期に花屋台として二代目屋台が製作されたと伝えられている。
昭和33年頃の台風により倒伏(とうふく)した光真寺門前の大銀杏を活用し、彫刻家の森桂民(けいみん)氏に依頼し彫刻屋台として再生しました。
平成3年には車輪を新造致しましたが、屋台本体が老朽化したため平成13年より鹿沼市や日光市の屋台製作の第一人者と云われる職人達の手により、彫刻と車輪は旧屋台の物を補修し、上物本体は新品となり、絢爛(けんらん)豪華(ごうか)な屋台が平成15年4月5日に完成致しました。
また、お囃子は100年以上の歴史がある新小松流(しんこまつりゅう)平林囃子方(ひらばやしはやしかた)の皆様で、塩谷郡熱田村柿木沢の鈴木岸松、小堀馬三郎の両氏に江連喜義代表他9名が師事し現在の江連春彦代表で四代目となります。
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元 町(もとまち) 写真アルバム≫クリック この屋台は、昭和57年に益子町の関口末吉様から譲り受けたものです。
時代は江戸期といわれておりますが、彫刻の塗ははがれ車輪や柱にも傷みがあり部分的に修理を重ねながら、祭りに参加してまいりました。
平成19年に関係機関のご協力の下、大々的に修理を行い平成20年春完成を見ました。古き時代の匠の見事さ、装飾の美しさを後世に残すため土台、柱、屋根、彫刻等を修理、塗りをかけ貴重な文化遺産としての往時(おうじ)の美しい屋台がよみがえりました。
元町のお囃子(はやし)は、小松流(こまつりゅう)新道(しんみち)囃子保存会、壇山松葉流中野内囃子保存会、大和流鷲子囃子保存会の三流派が演奏します。本日は壇山松葉流中野内囃子保存会の演奏です。
美しくなった元町屋台と迫力のあるお囃子をお楽しみください。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
下 町(しもちょう) 写真アルバム≫クリック
記録によりますと、文政元年(1818年)に建造されたと言われています。 屋台前面の唐破風(からふ)の屋根には、龍の見事な一本造りの木彫りが据えられ、その下段中央には亀の木彫りを配し、連綿とした波模様の中を進む姿が描かれています。前面左右の飾り戸には、花鳥(かちょう)と牡丹(ぼたん)があしらわれ、この飾り戸を押し広げて進行する様は、まさに下町屋台の圧巻であります。 屋根の内側上部には、牡丹の花が優雅に彫られており、「龍」「亀」と続いた強い調子をここで柔らかく受け止めております。 前面の「大鯉二匹」、側面の「花と水流の浮き彫り」、後部の「龍」「亀」「鯉」の木彫りはいずれも、江戸時代の確かな木彫りの冴えを脈々と伝えております。 お囃子は、神田五段囃子松葉流((かんだごだんばやしまつばりゅう) 堀之内囃子会(ほりのうちはやしかい)です。30年ほど前に、堀之内青年によって結成され、古く江戸神田囃子の流れをくみ、故小白井悟(こじろいさとる)氏より伝授を受け、今日に至っております。 中でも、囃子太鼓は、ぶっつけの時に演じられ、勇壮華麗、迫力満点の演奏が見どころ、聞きどころであります。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
栄 町(さかえちょう) 写真アルバム≫クリック 昭和22年に町内有志、大工さん5人によって造り上げられた栄町の手作り屋台は、長い間の風雪(ふうせつ)に耐えきれず平成23年に現在の新屋台に生まれ変わりました。
屋台本体、彫刻は青森県むつ市そして御所車(ごしょぐるま)は鹿沼市で建造された合作であります。本体は青森ヒバ、彫刻はケヤキ、車輪はカシを使用して造られております。
正面や左右には、風神(ふうじん)、雷神(らいじん)、飛龍(ひりゅう)、鶴(つる)に亀(かめ)、獅子(しし)等の彫刻が施されております。
お囃子は栄町お囃子連(はやしれん)による、神田五段囃子郭内水神流(かんだごだんばやしかくないすいじんりゅう)です。
若衆は町内青年部そして栄心会(えいしんかい)が担当しております。どうぞごゆっくりとお楽しみください。![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
仲 町(なかまち) 写真アルバム≫クリック 仲町には江戸時代末期頃に製作された彫刻屋台がありましたが、戊辰戦争の時に焼失してしまいました。(彩色か白木かは不明です)その後山車が造られまして、大正の初期頃まで祭に引き出されました。
現在の屋台は、大正8年に製作された彫刻屋台「漆塗り彩色屋台」で、大工の棟梁の益子新松、大工の梅田辰吉・千葉政吉、彫刻師の中尾万太郎らの手により建造されました。彫刻の見所は、前鬼板の玉取龍・前懸魚の波千鳥・裏鬼板の波流・裏懸魚の波・高欄下の牡丹・外欄間の菊水、脇障子の両面透かし彫りの牡丹・内蹴込み・内欄間の牡丹です。
尚、一番後ろの柱には、小型の鯉の滝登りの脇障子が付いています。前・後ろの鬼板・懸魚・外欄間・小型脇障子などの彫刻は、中尾万太郎の作です。牡丹の彫刻は製作時代が古いもので、彫刻師・嘉門「黒崎孝雄」氏の話によりますと、文化年間の作ではないかと言われております。
踊り場の奥行きは、他の町内の屋台に比べて深く、脇障子が大きく作られています。
屋型は宇都宮型なので、車は外に付いています。(外車)平成8年度に車の新調、彫刻の塗り直しが行われ、建造当時の姿が復元されました。
百年以上の歴史のある仲町屋台です。今ある屋台は平成8年に大改修されました。
お囃子は、昭和43年に自町内のお囃子好きな人達が自前の太鼓を購入し、発足したのが始まりです。その後、平成12年に現在の仲町粋鼓会と改名し、流派を仲町独自の名を付けました。廓内南流といい、昔からの流派にとらわれない、自分たちが好きな流派を選曲して練習しています。
郷土芸能の保存・普及、技術の向上、後継者の育成を図ることを目標とし、心に響く祭囃子が出来るよう日々稽古に励んでいます。
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大 手(おおて) 写真アルバム≫クリック
桜祭りの屋台引き回しは、江戸時代大田原神社の例大祭において、大田原藩の御神輿を奉納した7町内が市中を引き回したのが起源と言われています。
江戸時代より昭和の頃までは7町内が当番制をして実施しておりました。その当時は、大手は武士の住む町として町人の祭りには参加しておりませんでした。 昭和になり商工会議所が設立され大手の商店も年々増え賑やかになり商工会議所に入会する様になって、それを機に輪が広がり祭りに参加するようになりました。当時大手は、屋台を持っていませんでしたので大手独自のアイデアで戦艦大和、汽車ポッポ、樽神輿、万灯神輿を造って参加したり、旧黒羽町中野内の屋台を借りて参加したり、また青年有志で山から檜を切り出し屋台を手造りで製作して参加したりと苦労をして参加が続いておりました。 平成19年の年番町の時に新造屋台を完成させ、お披露目が出来るようにと大手一丸となり新造屋台製作へと突き進みました。そして、現在皆様の前にお披露目している大手念願の屋台があるのです。 屋台の大きさは、屋根総長4.546m・総幅2.97m・総高4.7m・土台総長5.455m・車輪直径1.15mです。 屋台正面の彫刻は、鹿沼の彫工で大田原(下町)出身の黒崎孝雄氏の作品で彫刻の中央で睨(にら)みを利かせている人物は、水滸伝(すいこでん)に登場する公孫勝(こうそんしょう)です。別名入雲竜(にゅううんりゅう)とも呼ばれ下に竜を従えております。 また、大手のお囃子会は、龍西松葉流(りゅうせいまつばりゅう)大手お囃子保存會「囃龍會(そうりゅうかい)」と名付けています。旧黒羽町中野内若連囃子方(くろばねまちなかのうちわかれんはやしかた) 松葉流五段囃子を師としておりますが、歴史も浅い分、どこにも引けをとらないお囃子にしようと年間を通し練習に励み本番を迎えております。 歴史と伝統のある他町8台の屋台に負けないよう町内の意識を高め大手の歴史・伝統を我々の世代だけでなく、代々伝承して行けるよう邁進して行く所存でございます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |